あした天気にな~れと言って、靴を飛ばし、裏返しになれば雨、横倒しになれば曇り、そのままなら晴れという、子どもが誰でもできるようなものがありました。あれも一種の占いと言えます。未来がどうなるかを占うわけですから、あした天気にな~れもそういうものになります。日本各地にあるお祭りにしましても、元々は五穀豊穣を願ったり、豊作か不作か神様に聞いてみようということで昔からやっていたことがお祭りになっています。

世界中を見渡しても、お祭りのほとんどはこの性質を秘めています。ふと思ったのが、宗教がそこまで根付いていない、信仰するものが発達していない所ほど占いが発達してるということです。占いを信じるというだけあって、信じるという行為が必須になってきます。そして、人間は何かを信じなければ生きていくことはできません。

信じるという感情がなければ、飲み食いすらままなりませんし、会話も成り立ちません。つまり、信じることはとても大事なのです。それがなければ自分は生きていけないという対象を人間は信じるようにします。それがある人は占いに頼ることはありません。

既にそういう対象を見つけている以上、同じように信じるものがあってもしょうがないからです。占いを信じすぎる人は自分の中にそういう対象が見つかっていないのです。自分にとってプラスになるものを手当たり次第に試すのはこの場合良くありません。自分の救いになるものを結局のところは探しているのですから、それ以外の部分で軸となりえそうなものを探すのが生きていく上でとても大事です。